
現在、映画音楽の作曲家と言って誰もがすぐに思いつくのは、「ジョーズ」「インディ・ジョーンズ」「スター・ウォーズ」、「スーパーマン」「E・T」「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」などのジョン・ウィリアムズですが、ウィリアムズより少し年上のこの人も忘れてはなりません。エンニオ・モリコーネです。
1928年にローマで生まれ、終生イタリアを離れることなく2020年にローマで亡くなったモリコーネは、トランペット奏者の父親の影響で、ローマ・サンタチェチーリア音楽院にてトランペットを学んでいました。それが、いつしか作曲に興味を持ち始め、音楽院で正式に作曲を学び、卒業後は、編曲の仕事で次第に頭角を現すようになりました。最初に国際的に注目されたのは、1964年の映画「荒野の用心棒」。その後、マカロニ・ウェスタン(イタリアで製作された西部劇)の分野において、「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」など、今も耳に残るような印象的な音楽を生み出しました。
ただ、モリコーネ自身は、映画音楽を書くことに対して、あまり積極的な気持ちになれない時期が非常に長く、60年代には「70年にはやめる」、70年代には「80年にはやめる」、80年代には「90年にはやめる」と妻に言い続けました。今のように映画音楽が評価されておらず、映画音楽が「芸術音楽」より一段低く見られていた時代が長かったからです。しかし、その間にも「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「ミッション」「アンタッチャブル」「ニュー・シネマ・パラダイス」など、次々とヒット作を書き続け、いつしか映画音楽を書くのをやめることを口にしなくなりました。
モリコーネは生涯で約400本の映画のために音楽を書いたといわれていますが、最晩年になっても、枕詞のようにマカロニ・ウェスタンが代表作であるかのように話されるのをかなり嫌がっていました。それらは、自分の作品のわずか8パーセントほどを占めるのみで、その後の方がキャリアも長く、作品も多く、本人としては、そちらをもっと評価してもらいたい、という気持ちが非常に強かったようです。
モリコーネの音楽の特徴として挙げられるのは、それまで映画音楽で使用されてこなかった鐘、エレキギター、ハーモニカ、口笛、口琴などをいち早く取り入れたことです。音楽院を卒業後、いわゆる現代音楽という実験的で新しい音楽を創造することにも熱心に取り組み、メロディーも楽譜もなく偶発的にその場で発生する音も音楽と捉える、といった活動にも参加していました。そんな経験から、映画音楽を書く際にそれまでの常識や概念にとらわれることなく、自由な発想で作曲できたのでしょう。そのことが後進の作曲家に与えた影響は、計り知れません。また、悲しい場面で明るいメロディー、激しい場面で穏やかな音楽という具合に、ストーリーをなぞるのではない独自のアプローチにも大いにこだわりました。
そんなモリコーネのことを描いたドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」は、晩年の本人が自作品を振り返るほか、クリント・イーストウッド、ジョン・ウィリアムズ、クインシー・ジョーンズなど映画界、音楽界の著名人へのインタビュー場面も多く、音楽ファンや映画ファンにとって見どころだらけの作品です。もちろん、モリコーネ作品の音楽もふんだんに聴けます。ストリーミングで見られますので、ご覧になってみてください。
おがわ・ひろこ
神戸大学教育学部音楽科卒、同大学院修士課程修了。声楽、器楽、合唱、バレエなどのピアノ伴奏者、および合唱指導者。現在、南加日系合唱連盟会長。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。
